単なる読み物

この先、単なる読み物。そこに何か、ありますか。(*印:解説つき)

この意識の使い道

個体を守るために生まれた意識
この意識を
何を守るために使うのか

自分個人に限るなら嫉妬が生まれる
特定の集団とするならば争いが起きる
人類とするならば世界平和が訪れる
地球規模とするならば自然が保たれる
そして宇宙全体とするならば
神になる
かも

◆玉ねぎの姿

「本当に私達人間は辛いわ。遺伝子を運ぶ使命を負わされていて、下手に考える頭もあって。どこにも正解なんてありはしないのに、とても慎重になってその運び先に悩む」
そう言ってココは、日に焼けた玉ねぎの薄皮をむく手を止めた。
「ほら、中学のとき、顕微鏡で玉ねぎの細胞を見たことがあるでしょう。誰のためでもない命がそこにある。何ものかであることなんて期待されていなくて、只、生きつないでいるの。純粋に、作為なく」
そんな姿がとても羨ましいとココが言った。
そしてその日、僕らは玉ねぎのもとを作ったし、
僕は、玉ねぎ然と生きることを、覚悟した。

ばか、夕焼けでいつも

あなたはちっともいい夫じゃなかった。
仕事には熱心、でも家族には存在の意味皆無。一緒に笑ったこともなかった。ろくでなしが。
同席して、余命あと半年って聞いても、あぁ先に逝くのねってそんな感じ。
なのに何よ帰りの車の中。運転しながら、ほらって、あなたが指差した先。

「ばか、夕焼けでいつも、泣けるじゃない」

存在の心許なさ

大切に育てられ、メランコリー親和型のキモ。
働き者で周りの人に感謝されながら、自らの存在意義を感じてきた。
そして今、色々な役割りを終えて老いにも直面し、自らの存在の心許なさに思い悩む。
キモさんよ、キモさん。
どうしてそんなにお辛いんですか。
存在は、案外そんなにも、心許なくないのかも知れません。いや心許なくも、もとないのかも知れないのとも。
「あんた何言ってんの」
「いやぁだから、年とって心許ないのかなぁって」
「あのね、わたしにだってやりたいことがあんの」
「はい」
「88過ぎたらね、ルービックなんたらってほら、色揃える奴。あれの指南書を見ることにしてんのよ」
「はい」
「出来ないんだよね、いまだっ。やったこと無いまんま死にたかない。でも、答え見ちゃうのも悔しいじゃないぃ。わたしの中のタイムリミット。88っていうのが。だってねぇ、もし答え見てもわかんなきゃ、辛いわよねぇあんた」
「キモさん」
「はい、はい」
「存在は案外そんなにも、心許なく、なくなく、なくなくないみたい、ですね」
「だからそれ、なんのなぞなぞ」

かわいく映って

「私は『わたし』であることをすぐに忘れてしまうんです」
どういうこと
「『わたし』よりもあなたに、関心が向くからです」
ふっ、そうぉ
「それはきっと私があなたを知覚する必要があって」
ふん、ふん
「判断行動してあなたの出方を待つ為です」
えっ?
「何の為。誤解無い事祈ります。彼方から此方守る為」
守る?
「私外界全て脅威護る」
えっ、そ、それって、不幸よね。

◆艱難難儀は偶にする

(司会者)「皆さま、今日ここにお迎えした先生は、次々と、止むこともなく襲い掛かる困難に立ち向かい、己れとの闘いを通して自らの魂を鍛えあげ、磨き尽くし、完璧なる珠玉にまで仕立て上げてみせ、天上に到る程の人格の持ち主ともなられた、神並先生であります。それでは先生、お願い致します」
「わたくしが神並です」
(拍手、拍手、拍手)
「えー、人が生まれて生きるということは、想像もつかない苦労や困難に出会うということです。そういったことがらに力の限りを持って立ち向かい、乗り越えることによってこそ、人は人となり、えー、この世の極限に位する力を得、揺るぎない立派な人物となり得るのです」
(拍手、拍手、拍手)
「・・・ということでありまして、えー、なにはなくともえーど・・・。えー・・・。えーそれでは最後にえー、そんな世の中のありとあらゆる苦難を乗り越えてきたわたくしが、しみじみと感じ入っている言葉を、えー、君たちに贈ります。それは、えー、えー、えー」
(司会者、小声で)「『艱難(かんなん)汝を玉にす』です」
「ん、ん? そうそう、かんなん、なんぎは、たま、たまにする。えへん、えーみなさん、『艱難難儀(なんぎ)は偶(たま)にする』であります」
(司会者、小声で)「先生、先生。それでは頂いた原稿と少し違った意味に取られるかも知れませんです。『艱難汝(なんじ)を玉にす』、です」
「そうそうそう、えーみなさん、『艱難難儀は、偶に、スルー』」
(司会者、大声で)「よけ、よけるんかい。」

「光ってなんぼ」

あんた、手ぇ止まっとるで。
ちょっと息ととのえてんねん。
何でや。まだまだ磨けば光るんちゃうん。
光るぅ思うし、磨いてるし。
はーっ、はーって息かけて、磨かんかぁ。
その息、ととのえてんねん。
そんな暇あったら手ぇ動かさんかぁ。
息せな手も動かれへん。
何言うてんねん。こうして、こうして磨くねん。
・・・・・
こうして、こうして。「はい、止め」の声聞くまで磨くねん。
母さん。
何や。口動かさんと手ぇ動かし。
かぁさん。
光らすんや。あきらめんと、光らすんや。
止めときぃ。
んー、んー、んー。あんたもこうして、自分の石を磨くんよ。
母さん。はい、止め。
自分が言うて、どうすんねん。
止め、て。
あっ。
・・・
えっ、どこ?
・・・
はあぁ、磨き倒したったぁ。
・・・母さん、おでこに。汗?
ん?
ごっつ、光ってる。

ほんの偶然

「恐らくは確実に、君の外側に時の流れが存在する。それを感じ取る機能を持った装置を、ほんの偶然、君は手にした。そして口惜しいことにその装置は、君の内側にも時の流れがあることを感じ取らせてもくれる。ふと感じる、それら時と時のずれ。君は世界から切り離されている事実と、捨て置かれ得る事実を突きつけられる。それを悲哀とか恐怖にするのか、骨董品屋で散策するほどの過ごし方で良しとするのか。それは君しだいだ。まぁそんなところです」
男はまるでセリフを読み上げる役者のように滑らかに言い終えると、ボーラーハットの縁に手をやって軽く会釈をし、くるりときびすを返して立ち去った。
「あぁいや、私が本当に知りたいのは、そのあなたの言う『ほんの偶然』ということの成り立ち方でして、このメモを見て、あっ」
こうやっていつも肝心な用件は伝えきれないまま日常の扉が開かれ、男の存在などすっかり忘れた。
でもそんなある日のこと、いつも握りしめていたメモの紙の、汗の湿り気を帯びてほんのり少しだけ重くなった感覚が、ふわりと手の中で立ち昇った。

「彼の人」

思えば明らかに、僕は悩みを混同していた。存在している悩みと存在していく悩み。それらを区別できないでいた。
存在していることに悩みつつ、こんな夢想をした。
もどかしく感じながら晴れることのない霧中で彷徨い、ひょいと辿り着いた深淵。僕は立ちすくんで、ようやく見える足もとに目を見張る。そして見つめれば見つめるほどきっと僕は恐怖する。
果たして居ただろうか。深淵に立ちすくむ僕の肩に手をかけて、その場から立ち去らせ救い出してくれる人が。もし居たのなら、その人は言い切ってくれただろうか、君のその考えは無用だと。
そして僕を救い出したその手で、僕の背に烙印を押す、ためらわず。
「彼の人」という熱い烙印を。

「解決ソロリありますか」

図書館にて、小学校3年生の男の子が中年の図書館員に訊ねた。
「すみません、『かいけつソロリ』ありますか」
「ん、解決? 困っているんだね。でもそんなタンペイキュウな手法、そうはないですね」
「いいえ、短編の小説ではないんです。絵本です。調べていただけますか」
「んー、それは今ここにはないですね」
「どこにありますか」
「海辺の図書館にはあるようですが、取り寄せないとね」
「時間がかかるんですね」
「そう。でも、『あんかけトロリ』ならありますよ」
「面白いんですか。暇な時間をつぶしたくて本を借りたいんです」
「君、暇な時間など、いつの時代でも、どこにもありませんよ」
「はぁ」
「もっと時間というものは有意義に過ごさなければ」
「はぁ」
「例えばこれはいいぞ。『判決ズラリ』だ」
「本の背表紙には漢字ばかりですが」
「まぁ離婚裁判判例集・愛憎相生編とも書いてある。これはどうだ。『死体がバラリ』。解剖の専門書だ」
「おじさん。僕、怖くなってきました」
「何を言っておる。学問を恐れてはいかん」
「いえ、おじさんが怖いです」
「そうか、乗り越えるべき筋合いではないな」
「今日が初対面です」
「『天気がガラリ』『決まって身ナリ』『小金がザクザク』」
「おじさん。最後の『リ』の字すら合わなくなってきています。それに、意味も」
「そんなことはない。『その口、オダマリ』」
「やっぱり海辺の図書館に行ってみます」
「そうか、そんなにまでして君は暇をつぶしたいと言うんだね。好きにしなさい」
「はい。でもとっても勉強になりました。いろいろと」
「君はなかなか知的なお子じゃ。私の説教『すんなりオワカリ』」
「すっごく先生。『もっとオカワリ』」
「えらい。でも『これにてオワリ』」
中年と少年は握手をして別れた。

「その3秒後」物語り:世界の在り方選択(3つめの選択肢を世界はまだ知らない)

玄関の扉を開けて外へ出た。
その3秒後、ぴゅーと風が吹き、紅く染まった山法師の葉っぱが一枚、二枚ちゅうに舞った。
その3秒後、コールタールで黒く塗り込められ、今は色褪せた木塀の上に寝そべっていた黒猫が、背中を丸めながら伸びをした。
その3秒後、三毛猫がヒョイと木塀に飛びのって、飛んできた葉っぱにクイっと手を出した。
その3秒後、僕は羽織ったばかりのカーディガンのボタンを左手ではめ、
その3秒後、黒猫の縦に細長い紡錘形の深緑色の瞳と、僕の目が合った。
(・・・・・)
その3秒後、
(① 僕は素速く地面の石を拾い上げ、黒猫は三毛猫を飛び越えて振り返りながらしゃーと鳴いた。
又② 僕は新聞受けから新聞を取り、黒猫は三毛猫に向けて顎を一つしゃくった。
又③ 僕は軽く肯いて、黒猫は目を細め、三毛猫は山法師の葉っぱのゆくえを目で追って、世界は淡く修飾された。)

駅のコンコース

駅のコンコースに開かれた喫茶店。コーヒーを飲みながらケータイを見ていたとき、ふと耳に入ってきた女性の声に心が惹かれた。
滑舌の良い、一語一語が明確な、説得力を持った歌うような声。次々と放たれる何羽もの小鳥といったところ。
ただ、話している内容が幼い。
その声の主は子供相手に戯れていて、自らも楽しんでいる。本気で。人を魅了するほどのその声が、余りにも子供っぽい話をしているのだ。
顔を上げ、さほど時間をかけずに見つけ出したその声の主は5、6才の女の子。納得だ。
いやしかし、それにしても不釣り合いだ。すべからく人の注目を集め、訓辞を伝えるのにとても相応しそうな声なのに。

数分後、その声がこう告げた。
「大人の事情ってつまり、子供のワガママが、そのまんま大人の力を持ったってことでしょ」
ハッとして慌ててまた顔を上げると、母親と思しき人を見上げている女の子がいた。
よく見るとその口唇は、抗い難い力に打ち震えていた。そしてゆっくりとゆっくりと、恐らくは次のお告げに向け、ゆがみ始めていた。

◆ボスざるの憂うつ

おいらってさぁ、ほら、
社会的なんちゃらの
大いなる犠牲者だよね、だよね

どうせ死ぬけどさ
死ぬ前に
社会的なんちゃらからこぼれたんじゃ嫌じゃない
だってこぼれたら死んじゃうジャン
死にたかないよ
こぼれたかないよ
必死で喰らいついてきたんだよ
それがいいってさ、
母さんに言われ続けてきたもんね

ひえらるきーにしがみついて
爪引っ掛けて
隣の友にだって爪たてたよ
当然でしょ
だって爪のかかりがいいんだもの
ああ、こぼれたかないよ
こぼれて死ぬなんざ
何のために生きてきたんだか

母さんが教えてくれたんだよ
油断をしたらこぼれるって
こぼれるって怖いよ、怖い
死ぬんだよ
母さんにもらった命ってやつが、結局死ぬんだよ

えっ、ぇええ
か、母さんひどい
死ぬなって、こぼれるなって、言い続けながら
結局死ぬ命、おいらにくれたんだね

あぁ、つめ爪、爪たてなきゃ

「///」

あいつ、失敗しおった/えぇこと色々言っとったけど/欲が深すぎ手を広げすぎ/あほやん/けどええとこまでいったよ/好きかって生きてか/うん、やっぱおったし/子供が/いや、彼女/いくつ/82/心配ないな/そりゃむり/いや/へっ/でけへん/あぁ/でけへんて/あぁ、あんな生きかた/うん、やつの/そう、やつの/やつオンリーの/オリジナル/うん/うんうん(全員で)

◆1970年頃のきんかん坊主

またの名をおにぎりてっかん。季節に構わずいつも青いジーンズのつなぎの出で立ち。その姿は青年に抜け出す頃の、まだ子供じみた少年の心の風景にきっちりと残った。
学校への往き帰り、きんかん坊主は突然に現れて行く手を遮った。驚いて悲鳴を上げながら逃げ惑う少年たち。その背中になおも奇声を浴びせかけ、すくむ足腰をこれでもかと揺さぶった。
ちょっとした覚悟が必要な登下校の日々だった。
唯一仕返し出来たのは、偶然蹴り転がした石ころが、するりと居合わせた乳母車の下を通り抜け、弾んできんかん坊主のすねに命中したときだ。痛がって口をへの字に曲げていた。拳を振り上げた、でも追いかけては来なかった。
本当は只遊ばれていた。いろいろな噂話が飛び交ってもいた。

ある日その彼が、近くの駅の操車場で重い荷物を両手で抱え込み、運んでいる姿に出喰わした。
怯えながら半泣きの彼。その横に厳しい口調で指示をする駅の職員達。
何かを感じている自分がいた。怖さではなく、哀しみでなく、憐れみでもなく、勿論、勝ち誇りでもなく。
生きている辛さなのか、意味なのか。価値なのか。
居丈高な駅職員への蔑みか、怒りか。
まもなくして、きんかん坊主を見かけることは無くなった。
1970年頃のこと。
 

ただ漂う

漂いたい
決めること決めず
ただ
漂いたい
そういう生き方の美学
とかじゃなくて
ただ

たかがなすびのへたのとげ

ささってきづく、されどなすびのへたがとげ

君は僕の好き

君は僕の好き
陽気に流れるエーテルの在りかがそこにある
なかったものを感じさせてくれて
世界は淡く修飾された
伝えたい何かが形を今とりつつあって
行くでもなく、来るでもなく
ソフトにそのものがここに
いた
僕は軽率に決意して
在ることを臆面もなく差し出して
みる
伝えたい何かの
そのやわらかな感触が
君に、伝われ

作:うえだ

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哲学的テーマ;〈私〉についての私的回答

自我意識の目覚めを経て周囲とも折り合い、自我の存在に納得をしても、尚残る自我意識の不思議さがある。
どうして〈私〉は私なのか。日常にすぐに紛れて消える〈私〉という自我意識。その不思議さの軽減のため、まずは〈私〉という意識の存在や機能を特別視しないことが大切と伝えたい。
痛みの感覚とさほど変わりは無いのです。

その疑問の本質は、既に出来上がっている意識を身体の外から持ち込んできたかの様に捉えているからなのではないだろうか。

否、そうじゃない。その発生が、成り立ちが不思議なのだ。

遺伝情報を基にこの世界に生じた身体の中で、意識という機能が出来上がってきた。そしてその意識が正にその身体を認識し、更に身体の外の世界をも認識し始めた。

〈私〉という意識は自然発生的にこの身で生じた感覚。痛み感覚と同様の、自己保存のための、その延長線上にある、機能のひとつなのだと思う。

(この先三文芝居)

そして悲しいことに、認識できる世界は広いにも関わらず、一つのこの身体、狭い日常の空間に囚われて自己完結している〈私〉という意識の不自由さ。

人間という存在は思うかもしれない。その窮屈な思いや囚われの不自由さが、存在感の拡大を目指す行為によって解消されていくものと。生物学的にしろ、社会学的にしろ。

そして誰しもがそれを正義と争い始め、繰り広げられる陣地取り。せめぎ合いしのぎ合い、欲するが故の地獄絵図。守りたいが故の削り合い。

ある意味陳腐な三文芝居だが、生きる証とする向きももあり。欲の裏には苦もあるさ。

でもふと俯瞰して見られないものだろうか。存在感の拡大は本当に陣地取り、奪い合いしか無いものなのか。明確な境界が必要なものなのか。

俯瞰して見えたこと。重ね合いがあるじゃない。漠とした拡がりがそこにあるじゃない。

惜しみなくエール

それほど星座に詳しくない私でも、冬のこの時期の自宅への帰り道、ふと見上げた夜空にオリオン座を見つけ出すことはた易い。キリリと三ツ星マークのベルトを締め上げた勇壮なオリオンの姿がそこに映し見えてくる。
まだ10代の初めころ何となく覚えていた不安。
それはいつになく遅くなった街灯の少ない夜道のせいだったのかもしれない、将来に悩んでいたからなのかもしれない。今となっては思い出せない。ただどんな想いであったとしても、オリオン座を目にした途端不安が勇気にすり替えられた。
以来半世紀近く期せずして目にしたオリオン座に、誓いやら願い事やら勝手な想いを心の中で投げかけて来た。そしていつも勇気を新たにさせられて来た。その勇姿に共感して軽く拳を握ったりもした。
しかし数年前、そんなオリオン座にあっては欲しくない噂を耳にした。あの右肩にあたるベテルギウスが消えてしまうというものだ。赤く光りながら膨らんでもいて、かなり高齢な星なので間も無く爆発して最期を迎えるらしいのだ。
そんな馬鹿な。いつだって頼りにしていたあのオリオンの勇姿がなくなるなんて。剣を振りかざしているあの力強い右肩が消えてなくなるなんて。やはり永遠のものはないということなのか。
まぁ自分を振り返ればやはり寄る年波には勝てない。目や耳の感覚が衰えつつあることを日々実感しながら過ごしている。
昔感じたオリオンへの憧れと共感が、今は別の意味の共感に転じているというところだ。
それでもって思う。そんな寂しいこと言わないで、いつまでも輝いていてよオリオンさん。強がっていてよオリオンさん。
星にだってどうしようもなく最期はやってくる。ベテルギウスが最期を迎えるそのとき、空は昼間のように明るくなるらしい。そんなオリオンの晴れの舞台は、是非冬の夜空であって欲しい。
勇気をもらってきた一人のファンとして、惜しみないエールを贈りたい。

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